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肖像

27歳、会社員。日記とめも帳

(映画)Crimson Peak クリムゾン・ピーク

映画
※映画レビューは基本的にネタバレです。
舞台は20世紀初頭、主人公イーディスがクリムゾン・ピーク(深紅の峰)での出来事を小説にするまでを描いたゴシックホラーストーリー。
◆感
イーディスの夫であるトーマスと、夫の姉ルシールは愛の為、生きる為、夢のために資産家の娘を狙い、トーマスと結婚させ資産が手に入ると殺害する、という猟奇的な生活を送っていたがトーマスは純真で、縋るように愛してくれるイーディスに心を奪われて行ってしまい姉の嫉妬が狂気と化してしまうのだけれど、トーマスは少しずつ姉を恐れていたんだろうな。狂気になった愛は美しいけれど応え続けるのは簡単なことじゃない。普通の愛より何倍も自分を含めた色んな犠牲が発生するから。
そしてイーディスは自分がただの駒であることを知りつつも、愛するトーマスがルシールに気付かれないように守ってくれていたことに気付いていたからこそひとりでクリムゾン・ピークを去ることが出来なかったのだろう。
陶酔しすぎた愛は誰かが起こしに来てくれない限り、夢のように続くことを祈り毎日を紡いでしまう。
 
「美しい不幸と愛そして深紅。」
 
◆想
ストーリーは捻りがなくありきたりな感じ。ストーリーに重点を置く人にはあまりお勧めできない映画。
パンズ・ラビリンス(2006/ギレルモ・デル・トロ)のほうが子供特有の心理描写を上手く描いていてかつ、どんでん返しな展開で考えさせられる作品でした。
それでもこの作品に魅入ってしまうのはギレルモ・デル・トロ監督の妥協を許さない当時の背景を忠実に再現したセット、衣装。そしてキューブリックを連想させるようなカメラワークがあってゴシックホラーの名にふさわしい映画に仕上がっているから。
亡霊の黒に飲み込まれるような描写にぞくぞくさせられて、堪らなく大好き。
そういえばウーマン・イン・ブラック(2012/ジェームズ・ワトキンス)も黒、灰、青色の使い方が本当に闇に飲み込まれそうでぞくぞくしたことを思い出す。
正直ストーリーは全然覚えてないけど、映像のインパクトは凄かった。
あとこの映画の見どころは何と言っても主人公のイーディスを演じたミア・ワシコウスカ、そして衣装。
ゴシック調のシルクチュールをいくつも重ねた繊細なドレス。色も登場人物の性格や心情によって分けられているとのことで衣装は惚れ惚れしてしまうほど美しく、その衣装をより一層際立たせているミア・ワシコウスカの白い肌、膨らみを持ったドレスから連想させる華奢な身体つきにもうっとりしてしまう。彼女の演技は表情がとても細かく完成されていて表情でその場の状況や心情を訴えられる力がある。
映像美や報われない愛、そしてゴシックホラーを好む人にお勧めです。
 

(日常)ご飯と歯磨き

日常

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我が家(と言っても1人暮らし)は鍋でご飯を炊く。火力を変えて5、5、10分の順番で最後の10分は歯磨きをしながらぼうっと鍋を見つめて過ごす。

結婚したらのんびり鍋を眺めたり、好きな料理ばかりを作れないのかな、と思うと私には結婚が向いてないんじゃないかという結論に達する考え事を延々と繰り返している。こういう下らない考え事ばかりしている平凡な今日がとても幸せ。

さて、ご飯も出来たしラップして冷凍庫にしまって今日は寝てしまおう。

(映画)BORN TO BE BLUE ブルーに生れついて

映画
※映画レビューは基本的にネタバレです。そしてJAZZには詳しくないのはご愛嬌ということで。
50年代ジャズ全盛期に人気を博し、転落し、再起し、再び転落したチェット・ベイカーの転落から再起までを描いた作品。主演はイーサン・ホーク。転落から再起まで彼を支えた女性ジェーンをカルメン・イジョゴが演じている。
 
ちなみに"BORN TO BE BLUE"はメル・トーメとロバート・ウェルズが作ったバラードで色んなシンガーがこの曲を歌っている。
有名なのはヘレン・メリル、グリフォード・ブラウンのナンバー。ざっくり言うと"ブルー"(不幸、恐怖、落胆という意味)の名のもとに生れついたけど、あなたに出逢えた僕はそれはそれで幸せだったのかもね"という歌詞でこれは映画の最初から最後までを連想させる曲で題名にこれを付けたのは秀逸と言える。
 
一番印象に残ったのは物語の終盤。
チェットは再起を掛け ニューヨークの名門クラブ「バードランド」の講演の話をつける。
チェットはこれまで支え続けてくれたジェーンに一緒に ニューヨークへ行こうと誘うがジェーンはオーディションを理由に断って口論になってしまう。
ジェーンもまた、葛藤していたのかもしれない。彼が再起への一歩を踏み出した時、彼女はずっと彼の傍にいて彼を支え、自分も支えられてきた。しかし身ごもり、女優という夢を追い続ける時間が有限になってしまったこと。このままずっと傍に居て、彼の自立に繋がるのか、自分の時間を犠牲に出来るのか一抹の不安がよぎったこと。彼女にとっては、彼のニューヨークでの講演は離れてみるいい機会だったのかもしれない。しかしチェットは講演当日、ドラッグに再び溺れないよう服用していた薬がきれ、境地に立っていた。
ラストシーン、控室の机に置かれていたのはなんとか手に入れた服用薬とドラッグ。”再起”というプレッシャーに潰されそうになったチェットが手にしたのはドラッグだった。オーディションのスケジュールがずれ、ジェーンは歌うチェットを見ていた。チェットは彼女がいることを確認し、歌いながらそっと頬に手を当てた。
それはチェットがドラッグに手を出した時に必ずする癖だった。ジェーンは、チェットの友人であるディックに彼からもらったネックレスを返し去っていく。
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チェットはドラッグに溺れ、普通に考えれば才能やチャンスを無駄にしたかもしれない。ただ彼にとってドラッグに溺れることが決してどん底ではなかった。本当に怖いのは同じ道を歩む人間に”認められない”こと。そして自分の手から”自分を見てくれる存在”が離れていくことだったのかもしれないと作品を通じて感じた。ドラッグを正当化してはいけないけれど彼にとってのドラッグはその不安を吹き飛ばすため、そしてブルーに生れついた自分に唯一与えられたトランペットを誰からも奪われないための方法だったのではないか、と映画を観て思えざるえなかった。
 
ちなみにチェット・ベイカーの文献にジェーンという女性はどこにも出てこないし、(調べた結果)
実際、再起を掛けた講演は「バードランド」で行われていない。
なのでノンフィクションとは言い難いけど、彼が再起を掛け、再びドラッグを手にするまでの彼自身の葛藤やJAZZ(トランペット)への執着に関しては忠実なのかもしれない。